「ソースなしで音楽についてブログを書くチャレンジ」2:22~タイムアタック

タイムアタックです

※事実は分かりません

 

音楽のあり方について考えてみようと思います。

ヨーロッパにおいて音楽は宗教と密接な関わりを持って発展して行きました。聖歌隊やパイプオルガンなどの存在がそれを象徴してますよね。神を崇めるための表現としての音楽がその始まりだったと言えるかも知れません。

また紙の発明で楽譜が出現することで、複雑な旋律が記録・伝達可能となり、ある時点から音楽が学問的な地位をもったことも想像に難くありません。王族とアカデミーは、パトロンと芸術家という形で繋がり、貴族や資産家を中心に音楽は飛躍的な発展を見せます。

国家が戦争によって形を為す過程では、軍を鼓舞し国民の愛国心を育む目的でも、音楽は多様性を持つようなります。

西洋における音楽観とは、神を賛美する手段から、宗教が国家と一体化したことで、国が国民を強くする手段へと変容したことがここまでで分かるかと思います。

一気にすっとばします。資本主義経済が広く浸透して、人権が獲得された環境下では、国や政治は一般市民の関心事ではなくなっています。それほど快適な世の中になったと言えるでしょう。

したがって、音楽は人類史上、類を見ないほど自由な立ち位置にあります。誰が何を聴いてもいい。どんなときに、どういう気持ちで聴いてもいい。

昔のオーストリアに思いを馳せてもいい。アフリカの太鼓に身を委ねても良い。インドの映画にあわせて踊ってもいい。ヒップホップで生き様をラップしてもいい。アイスランドのポストロックに感傷的になってもいい。

まったくスカスカの論でしたが、いかがでしたでしょうか。(いや、説得力もクソもないわ!)

 

以上、ありがとうございました!

 

またね!!



~~~

追記

この記事は2:22から3:00までで書きました。

文法おかしかったり、テンションおかしかったり、色々間違っていますが…

看 過 し て く だ さ い 。

「片付けを考えよう」っていう話

「朝日と夕日は、見ようと思えば毎日見られる。

美しさの中に身を置きなさい。」

ーー『わたしに会うまでの1600キロ』より

 

片付けは、生活を行う上で基本のスキルですよね。

片付けをしないと、健やかな生活は送れません。

洗濯物の収納、皿洗い、ごみの分別、不要品廃棄など、生活の至るところに片付けがあります。

 

さらに片付けは、出来てて当然とされています。

いつもスムーズには片付いてくれません。

これって厄介なんです。心当たりがある方もいらっしゃるかと思いますが、片付けって毎日やらないといけないし、実は結構な労力がかかるんですよね。

 

片付けというのは、出来ていて当たり前で、出来ていないと駄目という、非常に割りに合わないものでなんですね(もちろん中には自然と当たり前にすんなり出来る超人もいるとは思いますが)。

 

こんな事情から片付けを苦手としている人は多くいらっしゃるかと思いますが、その中でも僕は群を抜いて出来ない人間だったと思います。

小学生の低学年のときは、筆箱や体操着など僕の持ち物が教室の後ろ側、至るところに散乱しているような状況だったようで、母が面談で先生に注意される始末でした(母さんごめん)。

 

というわけで前置きが長くなりましたが…

 

今回は、片付けが壊滅的に苦手だった僕が、しっかり片付けるために実践したことや考え方をお伝えします。

 

【STEP.1】布団を畳む

始まりはここからです。

部屋が片付かない、気分が優れない、やる気が出ない…そんなときは、何も考えずに布団を畳む。それだけで活力が湧いてくるんです。

どこかのお坊さんがこんなことを説いているという話を、いつかラジオで聞いたんですね。一度やってみたことがありました。

すると効果は抜群で、不思議とやる気が湧いて来て、気づくと停滞していた家事を次々こなしていました。

 

心理学者のクレペリンという人が「作業興奮」というものを提唱されていますが、布団を畳むという一番シンプルな片付けをしたことで脳にエンジンがかかり、次の片付けに結び付くのだと思います。

家がぐちゃぐちゃで何から始めたらいいか分からなくなったときは、まず布団を畳むところから。僕はそうしてます。いいですよ。なかなか。

 

【STEP.2】物を捨てる

家を観察してみると、ずっと使っていない物や、目障りな物、量が多すぎる物があることに気づきます。

自分に必要な物を見極めて、シンプルに暮らす「ミニマリズム」という考え方がありますが、僕の場合は引っ越しを機に、この考え方に則って、物をどんどん削っていきました。

本棚の中身は読み返すもの以外全て売るか捨てましたし、着ていて鬱陶しい服もストレスなので処分しました。食器は必要最低限に揃え、文房具も極力シンプルに。

結果として、散らかる物が少ないので一回の片付けの負荷が大幅に下がりました。そして思わぬ副産物だったのが、視界に入る物の数が減ったこと。家の中でたくさんの物が目に入るだけでストレスだったことが、物を捨てたことで分かりました。

 

【STEP.3】片付け完了を覚える

これは意識しないと分からないことですが、片付けは最終的に完了します。

「どうせ散らかるんだから、片付けするもしないも同じ」という考え方は非常に危険です。片付いている状態が基本状態だということを強く意識してください。

片付けは「基本状態に戻す行為」であり「最終的に完了するもの」という意識がとても大切です。

終わったら口に出して「片付け完了!」と言って遊んでみるのも良いかも知れないですね。僕はやりませんが。

 

【STEP.4】「後で」の危険性を知る

こうして一度完璧に片付いても、気付くとまた逆戻りになっている、なんてことは何度もありました。

その原因を振り返ると、必ず「後で」とするタイミングがあることに気づきました。もはや死語となった林修先生の「今でしょ」ですが、「後で」と甘えようとする自分に鞭を打ち「今でしょ」と鼓舞することで、逆戻りを防ぐことが出来ます。これは現在挑戦中ですが、なかなか上手く行ってます。

ともすると精神論っぽくなってしまいますが、怠慢を一発で解消する便利な特効薬などないということを分かってください。「後」を「今」に変えることが出来れば、あなたの勝利です。粘り強く自分の甘えを振り払って行きましょう。

 

【STEP.5】いつも完璧じゃなくていい

ビジネス書『人生がときめく片づけの魔法』で有名になった ※近藤麻理恵(こんまり / KonMari)さんは、同タイトルのNetflixドキュメンタリー内で、ご自身でも片付けが完璧ではない瞬間があるけれどそれで良いんですという内容を語られています。

(※2015年に米『TIME』誌の「最も影響力のある100人」に選出された凄い人)

 

家に想いを馳せて感謝して、一つ一つの作業に気持ちを込めることで、片付けを、無味乾燥な機械的タスクから、愛にあふれた祈りに昇華する彼女の考え方はとてとユニーク。

ただ面倒いなと思いながらやるよりも、丁寧にやろうと思いながらやると、なぜか気持ちが良かったりしますよね。ガチガチに祈りとか瞑想とかまで行かずとも、心が澄んだ感じに持っていければ、良い結果が出そうです。

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というわけで、今回は片付けの話でした。

何かヒントになれば嬉しいです。

それでは、また次回もよろしくお願いします!

「情熱が大事だぜ」っていう話

「書いてへんやろ?エピソードを。俺書くで。」

ーー兵頭大樹(矢野・兵頭)

  

[Track.1] 好きなこと、何ですか?

この質問に、あなたは100%嘘がない答えを返すことが出来るでしょうか。

 

僕は幼稚園入園までは、アウトドアが好きな両親に色々な場所に連れて行ってもらっては、常に動き回っていた子どもでした。移動距離も消費カロリーも自分史上でぶっちぎり一番動いていた時期だと思います。

入園後もワクワクして落ち着きがなく、園庭では上半身裸で友達と鬼ごっこしてたような野生児でした。

今の根暗な性格からは信じられないですが、写真やホームビデオで観ると自分はそんな活発なキャラクターだったみたいです(ちょっと認めたくない)。

 

その後も、東京の高尾山を走って登頂したり、長野の上高地での2~3泊のタフなキャンプに参加したり、北海道でキャンプの啓蒙を生業にしている伯父にくっついて行ってはよくアウトドアを満喫していました(ここら辺の記憶はうっすら残ってる)。

 

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キャンプっていいよね。

 

こんな調子で、小さい頃の僕の頭は、自然の中を走り回ることでいっぱいでした。

そこに何の疑問もあるはずもありません。

 

「自然の中で遊ぶことが一番好きです。」

小さい頃の自分に冒頭のインタビューをしたらこれで終わっていたはず。

 

改めて今の自分にインタビューしてみましょう。

「好きなことは何ですか?」

 

「………。」

 

[Track.2] 「弾き狂え」

お察しのとおり、大人になってしまった僕にとって、こんな難しい質問はないことに気づかされるわけです。

質問を受け、僕の脳内では勝手に面接が始まります。

 

 面接官A「好きってことは、他の誰よりも優れているわけですね?」

 面接官B「本当に好きなのでしょうか?本当に一番ですか?」

 面接官C「そもそも本当に好きなんでしょうか?」

 

もちろん返事につまります。

「本当はどうなんだ?」

「というか好きってなんだ?」

 

思考が行き着く先はこうです。

「好きじゃないとしたら、これが好きだと思っていた自分は何者なんだ?」

「そもそも、こんなことで悩む自分はおかしいんじゃないか?」

 

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わぁあああああああああああああああああああああああ

 

はい。ぶっちゃけ、最近まではここで止まっていました。

悩んでる自分ってダメだなーみたいな退廃的感覚。

もういいやーみたいな諦め。

全然突破できない焦燥感。

はぁぁぁ………。

 

でも、ある言葉がきっかけで、

僕はこのスパイラルから抜け出すことができました。

それが、こちらです。

「弾き狂え」

ーー原昌和 (the band apart)

高校時代から敬愛しているバンド"the band apart"の原さんですね。

グッドモーニングアメリカのベーシスト「タナシン」のYouTubeチャンネルに彼が出演した際の言葉です。努力しても頭ひとつ抜けない後輩ベーシストたなしんの悩みに対して放ったこの言葉は、僕の中にある種の閃きをもたらしました。

 

この言葉から得たことは、以下の二つです。 

  • 全ての源泉は圧倒的な「情熱」にあるということ。
  • 「情熱」をもってやったことは間違いなく好きだと言えるということ。

 

原始的で当たり前のはずの「情熱」こそ、

本当に好きかどうかという議論を無意味なものに変え、

自分の好きなことに集中させてくれることなんだと気づいたのです。

 

だから、好きなことが分からなくなったら、

まずは立ち止まって好きなことを探してみましょう。

で、少しでも好きなことが見つかったら、狂ったようにやってみる。

はまらなかったら別の何かを探せばいい。

そうやってはまったものが本当に好きなことになる。

 

計画性も誰かより優れていることも必要もない。

自分の適性とかキャラクターとか考えなくていい。

大切なのはバカみたいに正直な気持ちです。

 

とにかく自由に行きましょう! 

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好きなんだ!!それでいいんだ!!

 

[Bonus]  考える前に動いてみました。

ここまで読んで頂いた方へ。

読んで頂きありがとうございます。

このブログはブログを続けることを目的としています。

体裁とか適当なところがありますが悪しからず。

あと、ちょいちょい寒いボケを挟みますが許してください。

 

最近は芸人さんがYouTubeに進出していますよね。

赤裸々な自分語りがあって面白いと思います。

有名な人でも自分と変わらない悩みがあって真剣に悩んでる。

それでそれを公開している…なんか感動しています。

 

お金を稼ぐうえでは尖ることも大事だったりしますが、僕は隙あらば戦闘モードに入りやすい性格なので、あまり肩肘張らずに行けたらいいなと思います。

 

特に自分はザコキャラであることを認めたくないところがあるので、こうしてまとまった文にして公開してしまえ~と思ったのも、ブログを書く理由になっています。

 

書くと長くなるので、今日はここまで。

次回もお願いします!!

落語・サウナ・松之丞

「止そう、また夢になるといけねえ」

ーー落語「芝浜」より

  

[Track.1] 落語

落語を聞いたことがあるだろうか。

 

明烏井戸の茶碗、死神、時そば、目黒のさんま、野ざらし…。快活に笑えるものからゾッと笑えるものまで、時代を経て楽しまれている古典芸能、落語。

 

インフルエンザに罹ってしまった大学生の頃、何も出来ず暇だったのでYoutube柳家喬太郎の「時そば」を見たときから、すっかり落語に取り憑かれてしまった。コロッケの気持ちになって演じられるその噺はまさしくエンターテイメント。斬新過ぎる「枕」に、落語の古臭いイメージは一気に吹き飛び、以後のめり込んでしまうこととなる。

 

いつか寄席に行って生で落語を見てみたいと思い焦がれて早幾年、ついぞ行かれずのにわかファンとなってしまっている(年内にはきっと必ず…)が、やはり動画越しで見ても、耳で聞いているだけでも、楽しいものは楽しい。

www.youtube.com

落語というと難しいイメージを持たれる人も少なからずいるかと思う。

「△代目××亭〇〇」とかいう門下や世襲の制度、江戸落語上方落語や、古典落語新作落語の別など、歴史が長いだけに、取っ付きづらいところは確かに否めない。

 

だが、一度おもしろい落語を聞いてしまうと「これを超えるものが聞きたい」と思うようになることは請け合いだ。次々と演目を聞いて行くうちに「この師匠が」「この枕が」「この噺が」「ここまたが違って」と、好きな部分が倍々で増えて後戻り出来なくなる。趣味というのは押し並べてこのようなハマり方をするものだと思われるが、その懐の深さがまた小気味良いのである。

 

古き良き日本の風俗がべらんめえ調を通してその体温ごと伝わって来るのが良いし、噺に出てくる地所が実際に足の届く範囲に存在しているという地続き感もまた堪らない(目黒ではさんまを振る舞う祭りが毎年秋口に催される)。日本語を母語としている方であれば、ネイティブとしてこの芸能を母語で味わえる価値を、もっと知った方がいいと思う。これ以上ない贅沢ではないだろうか。少なくとも私はそう考えている。

 

 

[Track.2] サウナ

こんな訳で落語が好きな私だが、ひょんなことから定額音楽ストリーミングサービスのSpotifyでもこれが聞けるということを知った。まだラインナップは少ないが徐々に増えて行くことを期待している。

 

落語は演目によって長短はあるものの、大体1つ30~40分のものが多い。この長い時間をどのように聞いたら有効に活用できるのかを常日頃考えているのだが、先日結論が出た。自転車で片道90分かかる、練馬の銭湯に行く道中で聞くのだ。

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練馬区の銭湯「久松湯」。快適の極み。番台のおじちゃんが優しい。

 

ちなみに、なぜ銭湯へなどと思われる方もいるかと思うが答えは簡単で、1月16日放送のニッポン放送ラジオ「ミュ〜コミ+プラス」で吉田尚記が激推ししていた「サウナ」に入りたくなったからである。流行り好きの性分も手伝ってゆるゆると自転車を漕ぎ出す。

 

1)吉田氏本人によるツイート。流石「ととのっ」ている。 

 

r25.jp2)サウナで所謂「ととのう」ってどういう状態か知っていますか。

 

銭湯へはたまに行くがサウナに入る習慣はなかった。しかし、この入浴法がいかに楽しいものであるか、身を以て体験できた。というか、サウナなしの銭湯は少し物足りないくらいに、それはもう気分が良いものだった。

 

甲斐あって、真冬の風に晒されても、身体はポカポカ「ととのっ」て、往復の4演目で胸の蒸気をくゆらせるという、中々いい時間だった。

 

  一.柳家権太楼「死神」

  二.柳亭市馬「宿屋の仇討」

  三.五街道雲助「芝浜」

  四.柳家さん喬明烏

 

こちらがその4本。この内、五街道雲助師匠の芝浜は、旦那に色気があり良かった。暗い海から地平線の向こう側が白んでくる描写に至っては目にありありと浮かぶようだ。ああ良い。ひたすら良い。自転車を飛ばしながらニヤケが止まらない。ああ不審者。

 

 

[Track.3] 松之丞

神田松之丞という男がいる。講談という英雄譚を演じる講釈師。

講談は落語と同じく寄席演芸に分類される古典芸能だが、この男、面白すぎる。

 

女性7割・男性3割ともされる講談の世界で現在注目されている、35歳の若手講釈師で、2020年2月に真打抜擢昇進が決まった程いま勢いのある噺家である。氏の講談の凄まじさは一度見てしまったが最後、脳裏に焼き付いて離れることはない。一瞬で引き込まれるというのはこのことで、今後の演芸の歴史に名を刻む大器であることは誰が見ても分かることだろう。

 

本職の講談は書いたとおりなのだが、書きたいのはここからだ。

 

講談の世界と落語の世界、また漫才の世界というのは、芸能の繋がりがあるようで、TBSラジオ「神田松之丞問わず語りの松之丞」という彼がパーソナリティをつとめる番組では、よく伊集院光爆笑問題の太田などの名前が出てくる。

 

そんな中このラジオ内で、年明けから現在にかけて、漫才コンビのナイツ土屋を相手取ったやり取りが大きな話題になっている。

otokoman.hatenablog.com

笑いをふんだんに盛り込んだ怒り心頭の様子。

20分ノンストップの正論の嵐に笑いが止まらない。

 

話の発端は今年の年明けである。テレビ中継の収録があり、楽屋あたりで土屋が松之丞に話しかける。「子ども、出来たそうじゃないか。おめでとう」そう言って、松之丞にドラえもんのポチ袋にいくらか包んで手渡したのだ。

 

これを受けて松之丞は感激し「ありがとうございます」と受け取ったという。

しかし、問題はここからだ。出産祝いとしてもらったそのポチ袋を自宅に持ち帰り開けて見ると、中身がたったの1,000円だったのだ。この金額に松之丞は驚愕。1,000円じゃオムツすら買えねえぞという次第。お笑いの「ボケ役」はまだ常識があるが、「ツッコミ役」はクレイジーだとする論を展開するにまで至り、ラジオ内で20分延々と憤慨していたのである(この様子は字面にするとシリアスに見えるが、ブースで終始構成作家が爆笑している雰囲気の中でのことである点、ご想像頂きたい)。

 

これを受けてナイツの土屋はニッポン放送ラジオビバリー昼ズ」にて、「あれは出産祝いではなくお年玉。芸人仲間では慣例で、子どもが出来たやつには年明けに1,000円包んで渡すのがお決まりだった」と弁明するも、翌週の「問わず語りの松之丞」ではこれに真っ向から反論する松之丞。「お祝いを頂けるのには有難いことで感謝していますが、そんなの分かる訳ないし、それにしたって天下のナイツが1,000円ぽっちとは」と一蹴し。さながら水掛け論の様相を呈する事態に。そうして依然収拾がつかないまま、神田松之丞とナイツは後日番組で共演することが決定するに至っている(しかも番組発表の口外禁止情報をナイツ側から漏らす形での告知となったため状況は最悪である)。

 

 

twitter.com

 

話の面白さを字で表現する能力が足りないことが誠に悔やまれるが、硬派熱狂の講釈師・神田松之丞の講談とはまるで真逆で、氏のラジオは雰囲気全体をふざけ倒しながらも正論で身を固め、親の敵討ちのように相手を糾弾するスタイルなのだ。

 

礼節も品もあったものではない。歯に衣着せぬ物言いは痛快そのもの。1年後には真打先生になろうともいうお方が、さながら「駄々をこねる子ども」のようにギャーギャー仰る様はまさに抱腹絶倒。面白すぎる。面白すぎるぞ松之丞。

 

 

[Bonus] 自分にとって良いもの

古典芸能を聞き始めるにあたって下調べすることは特にない。ただ聞き易く、自分にあっていると思うものから聞いてみる。まずはそれだけで十分だと思う。人に自慢したり会話のネタになるものではないかも知れないが、自分にとって良いものであれば、それはそれだけで価値のあることではないだろうか。

 

アニメが好きな方であれば「昭和元禄落語心中」から入るのもおすすめだ。声優の石田彰小林ゆうの怪演が楽しめる。古典芸能への畏怖が演者の気迫や空気感を広げ、声優がどうあるべきかを、業界全体に問いかけ直した効果は看過できない。

matome.naver.jp


兎角、何かをやるには意味を問われる時代だ。

「どうしてするのか?」「なぜしようと思ったのか?」

肩肘張った時代だからこそ縮こまっていてはいけない。小気味いいお囃子と力漲る噺で心身をほぐして、気分を入れ替えてみてはいかがだろうか。

 

 

2019年 1月 21日 月曜日